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キャリアプランはなくていい?営業一筋のプロから学ぶ「計画的偶発性理論」とは

2020年現在、セールス事業本部の副本部長兼コンサルティング事業部の部長を務める松澤 真太郎。両事業部の運営やプリンシパルセールスコンサルタントとして、幅広い業種のサポートを行っています。営業一筋の松澤が語る、そのやりがいやおもしろさ、さらには自身のキャリア論についてご紹介します。

<話を聞いた人>
松澤 真太郎(まつざわ・しんたろう)
入社以来、社内の様々な部署の営業・営業リーダーを歴任。 入社4年目で年間売上・粗利額のギネスを達成し、全社の年間MVPを獲得。 現在では、営業研修部門のマネージャーとして、その営業経験を生かし、セミナーや研修の講師として活躍。 これまでに5,000人を超える営業パーソンの教育に関わっている。

こちらの記事は2021年1月にタレントブックで配信されたアーカイブ記事です

子どものころに身につけた適応力

私は、子どものころから両親の仕事の関係による転勤族でした。大学入学までに計9回、北海道から九州までさまざまな環境で育ってきました。長くて4年、短くて1学期で引越しをしていたので、メンタルとコミュニケーション能力は人一倍鍛えられたと思います(笑)。今みたいにスマホや携帯などの連絡手段がなかったので、さまざまな環境や地域性に適応する力は自然と身についていきました。

最初のころは、どこに行っても同じトーンやキャラクターで通していたのですが、それだと環境が頻繁に変わっていくなかで馴染めないこともあり……。そういった経験から状況を観察して分析することを覚え、適応するためにどのような役割を担うべきか、リスクマネジメントを自然にやっていくようになりました。

高校生になったころ、親が単身で転勤することになり、初めて同じ高校に3年間通えることになったんです。3年間続けられる部活動を選ぶうえで、個人競技かつ今から始めても結果を残せるスポーツにしようと思い、硬式テニスを始めました。根っからの負けず嫌いであったため、そうした性格を生かして努力を積み重ねた結果、宮城県代表選手にまで上り詰めることができました。

そんな高校時代はテニスしかしておらず、勉強が本当にできませんでしたが、受験期に入ってから毎日13時間ほど死ぬ気で勉強をしましたね。結果、晴れて青山学院大学に入学することになったんです。

学生時代に体感した、営業のやりがい

大学入学に伴い、東京で一人暮らしをすることになったのですが、このときにしていたアルバイトのひとつが新聞の勧誘です。新聞契約の更新や新規顧客を得るための営業をするという、出来高報酬制の仕事でした。

そこで大きな成果を上げられたことから、人とのコミュニケーションビジネスが向いているという自覚が芽生え、どんどん営業という仕事にのめり込んでいったんです。

就職活動では、これまで自分が育ってきた環境や、自分の価値を考えたときに「ビッグになりたい」「優秀なビジネスパーソンになりたい」という気持ちが強く、そういう想いから営業やコンサルティングといった仕事を突き詰めていけるような世界に興味を持つようになりました。

また、自分は大手よりも裁量権のあるベンチャーに向いているなと思っていたのですが、そうした企業のなかでも前職にはメンバーの方々のレベルの高さを感じ、そこで成長したいと思ったんです。結果的に前職には、新卒1期生として入社をしました。

ところが1年後、一緒に働きたいと思っていた尊敬する上司が会社を辞めてしまうことになりました。当時、セレブリックスは上場をしたタイミングだったのですが、事業の多角化をしていくために、いろいろな会社とジョイントベンチャーや事業子会社をつくっていたんです。そのうちのひとつ、法人向けのコンサルティングの事業会社をつくるにあたり、その上司に誘いが来ていたのでした。

私はまだまだその上司と一緒に仕事がしたいという想いがあったため、結局「自分も一緒に行きたいです!」と声を上げ、セレブリックスに転職をすることにしました。

初めて味わった挫折。乗り越えた先に見えた世界

大学在学中を含めると4年の営業経験があり、成果も上げていたため、自分の営業力に関しては自信を持っていました。そのため、セレブリックスについては何も知らなかったのですが、なんとかなるだろうという自負を持っていました。しかし最初に言ってしまうと、ここで初めて挫折を味わったんです。

当時私が扱っていた商材は、アメリカから日本に来たばかりのタイミングで知名度が低く、1年で1本しか売ることができませんでした。外部から優秀な人材がきたという鳴り物入りで入社をしたにも関わらず、降格の話が出てくるほど厳しい営業成績でしたね。

そのときはメンタルが弱ったというより、自分自身の価値の低さに対する悔しさを感じました。私は、自分の価値が会社や顧客、そしてマーケットに評価されていないと意味がないと考えています。そのため、当時の会社に評価をされていないという状況が屈辱的で、このまま負けたくないと思ったんです。同時に、今まで私は何事にも要領がよく、ほどほどのレベルにはすぐなれてしまう人材でしたので、突き詰めるくらいの本気を出してこなかったんだなとも実感をしました。

それから社内の面談や上司のサポートを受け、徹底的にやりきるマインドに思考と行動を変えていきました。「今ここが本気になるタイミングだ、逃げたり言い訳したりしたらだめだ」と、退路を断って前に進んでいったんです。

その後、営業について悩むことはなくなりました。

努力に成果が伴うようになり、ついには全社の通期MVPを受賞することができました。この通期MVPを受賞したのは会社設立史上私が初めてで、前例にない記録を出せたことはとても嬉しかったです。

この実績の背景には、セレブリックスがナレッジとして持つ営業の原理原則があります。一般的に営業は感覚やセンスによる部分があると言われていますが、セレブリックスではそういた部分を科学的に分析し、マニュアルに落とし込んでいます。私はこのナレッジを体現することを目指し、日々そのマニュアルを持ち歩いていました。

また、営業として量をこなすことにこだわるだけでなく、質を上げていくためのターゲティングにも力を入れていました。たとえば、アウトバウンドの専門部隊では、お問い合わせの機会を自らつくっていく必要があるため、顕在化されていないニーズを探すことが必要です。そうしたターゲットがどこにいるのかを見極めるため、先見の明を持つことに力を注いできました。

新聞以外にも専門誌を月に5,6冊は購入し、世の中のトレンドを捉えたり、ビジネスに関連性のある法改正のニュースから潜在顧客のニーズを予測したりして、営業を行っていきました。

松澤流キャリア論──大切なのは、与えられた機会に真剣に向き合うこと

私は今、若い人々に対して、「計画的偶発性理論」を伝えていきたいと思っています。

私がなぜこの考え方を重要視しているか、理由はふたつあります。ひとつは、未来予測が非常に難しいVUCAの時代だからです。現代においては、予測したことがその通りになることはほぼありませんから。

そして、もうひとつは社会に出ていない段階で「将来こうなりたい」という像を具体的に描く行為自体が非常に難しいから、です。稀に具体的なイメージが出来ている方もいらっしゃいますが、多くの方はイメージできていませんし、それはおかしなことではありません。

先の見えない現代では「自分が何をしたいか」よりも、後から状況に適応していくことでより良いキャリアをつくっていけるのです。

私自身、自分が描いたキャリアに向かって、明確にステップアップをしてきたかといえば、そうではありません。目の前の仕事や役割、選択肢に一生懸命向き合うことで、自然とキャリアが形成されてきました。

まだ何をやりたいのかわからないと不安になる方もいるかもしれませんが、とにかく与えられた機会に真面目に向き合えば良いんです。目の前のことに全力で取り組んだ結果としてキャリアはつくられ、結果として道を極めるということにもつながっていきます。

営業は、企業が経営をしていく上で一番コアな役割であり、そこに対するプライドや自負がやりがいやおもしろさにつながっていると思います。企業が外部から資金を調達する方法には、銀行からの融資と営業活動によるもののふたつがあり、その片側を担うのが営業という仕事です。

つまり、自分の働きかけが企業の未来や存続を決める、その責任や役割を担えるのが営業の仕事です。アポイントを取るときも、この1本が企業の未来を決めるという気持ちを持って取り組んでいます。そういった誇りを持ってできるのが営業の仕事だと思いますね。

そのやりがいがあるから乗り越えられる部分もあるんじゃないかなと思っています。自分の場合は、お客様の事業拡大を手伝うことで自分の市場価値が高まっていく、その点に大きなエネルギーを感じているんです。これからも営業という仕事のおもしろさを感じながら、自分自身のキャリアをつくっていきたいと思います。

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